滋賀県砕石協同組合デザイン案
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湖国滋賀石ものがたり

石ものがたりPart2
Stone's Story
標本・写真は磯部鉱物化石標本室(磯部敏雄氏)による

人間は古来より巨木・巨岩に神聖なものを感じ、恐れもし、あがめてきました。また、それらにまつわる話も数多く残っています。巨岩や奇石に対しては、神の力で云々とか、誰かが腰を掛けた、あるいは、たたり的な話も聞かれます。本来、石とは生命をもたないものですが、人間は不思議な力を石に求めたのでしょう。
滋賀県にも巨岩・奇石が多く、石にまつわる話もおもしろいものがあり、天然記念物に指定されている石もあります。
それらの中からいくつか紹介してみましょう。

海底火山の石 枕状溶岩米原市(旧伊吹町)

枕状溶岩

普通、溶岩といえば富士山や阿蘇・桜島あたりで見られる茶黒色のゴツゴツした岩石を思い浮かべますが、それらの溶岩は地上で冷やされてできたものです。火山から噴出する溶岩流は地上だけに限らず、海底でも噴出しています。これは海底火山と呼ばれ、熱い溶岩が海水中に流れ出すと、海水で急冷されると同時に、水圧で丸みをおびた形となります。溶岩流の表面は急冷されても内部は溶け、急冷されて皮となった部分をやぶって流れ出るとまた急冷されますが、それが何回もつづくと、まるで枕を積み重ねた形を作り、これが大きな力(地殻変動)で隆起して陸地になったとき私達はその枕状溶岩を見ることができます。学術的にも価値があるので、国内では天然記念物に指定している所も多い。枕状溶岩を作っている岩石は玄武岩で、玄武の名は古代中国の四神(白虎・青龍・朱雀・玄武)の一つで、北方に配置し、水の神といいます。ちなみに玄武岩と名付けられたのは江戸時代で、六角柱状の岩石から、中国四神の一つ、カメの漢語"玄武”の称を借用したものと記され、兵庫県の名所である玄武洞はその代表と言えます。

"君が代”の石 さざれ石米原市(旧伊吹町)

さざれ石

新年や行事・スポーツの大会等に歌われる"君が代”。この元歌は平安時代に編集された『古今和歌集』の賀歌に収録されています。それが後の『和漢朗詠集』に「君が代は ちよにやちよに さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで」と書き換えられたものが、現在の"君が代”となっています。さざれとは漢字で"細”と書き、"小さい・わずかな・こまかい”を意味します。岐阜県には、君が代の石『さざれ石公園』があり、岐阜県の天然記念物指定を受けた所があります。説明板には伊吹山のふもと産の石灰角礫岩と記されています。
石灰岩の小片が集まってできた岩石名で、二酸化炭素を含んだ雨水によって石灰岩の小片の表面が溶かされ、糊のような働きをして大きな石となったものを『さざれ石』という。やがて表面に苔も生えれば、正に"苔むすさざれ石”です。

奇石中の奇石 蛇石多賀町

蛇石

昭和初期、村の中を流れる川で見つかり、寺に運び上げられたもので、それ以来"雨ごい石”とも呼ばれ、雨がふらない時は手でなでたといわれます。岩質は約七千万年前の火山活動でできた湖東流紋岩。国内に蛇石といわれる名所が数ある中で、この蛇石に勝るものはありません。かつて江戸時代に木内石亭という人物が全国の奇石珍石を本(雲根誌)に著しています。

乳が出る石!? 乳石多賀町

乳石

"石から乳が出る!”こんな話は現実にあり得ないことですが、地方によっては『乳石信仰』のようなものがあります。滋賀県東部の鈴鹿山脈北方には石灰岩からなるカルスト地形が発達し、地下には大小の鍾乳洞が形成されています。鍾乳洞内で見られる奇形な石を鍾乳石といい、鍾乳石には乳の形をしたものが多く、先端からしたたり落ちる水滴は正に動物の雌の乳そのものを思わせ、この水滴を乳母や妊産婦が飲めば、乳の出が良くなると信じられています。水滴を飲まなくても、乳石をさすると乳の出が良くなるともいわれ、このようなことから、乳石信仰が生まれたものと思われます。たしかに、鍾乳石(乳石)からの水滴は炭酸カルシウムが豊富です。

石の鏡 鏡石多賀町

鏡石

岩石や地層が断層等の力で切られる時、切られた面は強い摩擦力のため、鏡のような光沢が見られます。写真はチャートの鏡石で、中央の白色部分は光を反射しています。こうした鏡石は場所によって大きなものがあり『鏡岩』と呼ばれています。滋賀県では鈴鹿峠に鏡岩が見られ、かつて旅人が通行する時に鏡岩に自らの姿を写し、身なりを整えたと伝えられます。また、太陽光を反射させて通信手段に使ったとの話もありますが、長い年月に風雨にさらされると、鏡岩の表面のツヤも無くなり、苔が生えている所もあります。

太郎坊さんのはさみ岩 夫婦岩東近江市(旧八日市市)

夫婦岩

"太郎坊さん”の愛称で親しまれている太郎坊山には『夫婦岩』と呼ばれる巨岩の割れ目があります。別名を『はさみ岩』とも言われ、ウソをついた人がこの割れ目を通ると、たちまちはさまれてしまうと子どもの頃に親から聞かされたもので、子ども心にこの割れ目を通る時、こわかったことを覚えています。
夫婦岩は大昔に、大神が巨岩を割って作ったものと伝えられますが、岩石の特質である節理によって生じた割れが大きくなったものです。岩石は約七千万年昔の火山活動でできた湖東流紋岩で、太郎坊の祭礼には多くの人が夫婦岩を通り、気持ちを新たにします。

古代の薬石 禹余粮竜王町

禹余粮

中国では、この石を薬用にした起源は大変古く、奈良正倉院の御物を調査研究された益富寿之助博士が著した本には、次のように記されています。『中国の堯・舜と呼ばれた古代に、禹王が治水の工事を終えた時、その余った食料を会稽山に残したが、後に石になった。』という伝説にもとづくといいます。(会稽山は現在の中国に存在します。)この『禹余粮』は玄宗皇帝の時代に、日本に現物が来たといいます。その当時日本は聖武天皇の頃で、聖武天皇の亡き後、御物の一つとして正倉院に保管されています。この禹余粮と同じ物が、県内でも大昔の琵琶湖の地層内に見られます。ちなみに禹余粮は、長びいて治りにくいセキや発熱、腸出血、婦人の産後の出血が止まらない時に用いたといわれます。

石の小僧さん 高師小僧日野町

高師小僧

"高師小僧”と初めてこの名前を聞く人は、どこかのお寺の・・・と思うらしいです。まさか石の名前とは・・・。日野町別所では国指定の天然記念物となっていて、高師小僧とは鉱物の一種で、鉄分の多い粘土層中に見ることができます。滋賀県東部には大昔の琵琶湖の地層が広く分布し、高師小僧が各地で見られ、ほとんどが棒状だが、管状や筒状もあり、大きな管状の高師小僧は、その形が土器に似たものもあります。
高師小僧の原産地は愛知県豊橋市の高師原台地。そこでは、土中からまるで土筆のように顔を出す姿が小僧さんに似ていたことから"高師原の小僧さん”と呼ばれ、『高師小僧』と名付けられたものです。

石の屏風 屏風岩日野町

屏風岩

日野町には国指定の天然記念物が五つもあり、その中の三つは石です。
①綿向山の接触変成岩 ②別所の高師小僧、そして中でも特に評価できるのが③鎌掛の屏風岩です。①②は他の場所でも見ることができますが、③は鎌掛だけに限られ、名前のとおり屏風の形をした岩で、大変硬く、特に雨でぬれた時は、縞状が大変美しく、また、その大きさに驚いてしまいます。正に大神が屏風をたてた(と言っても、横にした。)感がある。かつて『鎌掛石』として、地元の鎌掛の人々がこれを切り出して使用することを許された事が理由で、今ではその頃の三分の一の大きさになったと聞きます。現在の鎌掛の家屋や神社には、当時に切り出された屏風岩(鎌掛石)が数多く使用されています。

エッ、これでも石? 忍石湖南市(旧石部町)

忍石

この石を見た人は誰もが『シダの化石』と思うほどシダ植物に似ています。これはシダの化石ではなく、マンガン鉱物の一種で、石や岩の割れ目にマンガンがしみ込み、その形がシダ植物の"忍草”に似ていることから、『忍石』と名付けられています。シノブとは夏季に観賞用として、根をからみ合わせて玉状にし、"しのぶ玉”"つりしのぶ”として軒下などにつるされるものです。忍石はどの地域でも普通に見られ、外国では絵画と同じように室内に飾られたりもしています。忍石は化石と間違われることが多いので、偽化石と呼ばれ、『模樹石』の別名もあります。

地震の化石!? くいちがい石甲賀市(旧土山町)

くいちがい石

"硬いはずの石が切れる!?割れる!?”"割れても結合している石”地層(礫岩層)中で力の作用で石が割れ、そのままの形で残っています。いうならば"くいちがっている石”から『くいちがい石』と呼ばれます。写真は湖東流紋岩と硬質砂岩のくいちがい石。両者とも硬い石ですが、土中に働く長い年月の圧力によって切られたり、割られてしまい、そのメカニズムは十分に解明されていませんが、土中の力を充分に知ることができます。こうした場所では断層を観察でき、断層とは地震等によって地震が切られることで、食い違い石を"断層の化石”または"地震の化石”と言う人もいます。

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